まあなんというか、我々にとってそれは住みにくい世間となりますわね

「なんかさ…だめだよ…オレ……社会的にまったく通用していない気がする……」

──福満しげゆき

 

冬の香りを運ぶ冷気がやさしく頬を撫ぜる季節となってまいりました。個人的なことを申せば──いや、ここに個人的でないことを書く日はきっと訪れないでしょうが──この季節にはいくぶんセンチメンタルな気分にさせられます。いや、実をいうと僕は年中センチメンタルな気分になっている(I'm always in a sentimental mood)ので、その点をふまえるととりたててどうというわけでもないように思われるかもしれませんが、センチメンタリティの質的差異というものはやっぱりあるものでして、つまりこの季節にはいつも生まれ故郷のつくば市の中心部の肌寒さを自ずと思い出します。いわば郷愁〈ノスタルジア〉です。つくば市の中心部、すなわち僕が小学5年生の頃に開通したつくばエクスプレスの駅の近辺には磯崎新によるかの有名な(有名であるということは大学生になって知るわけですが)「つくばセンタービル」があります。僕はこの論争的な建築物を、小学校の通学路にあったものですから毎日のように視界に収めていたので、今もなおそれなりのイムプレッションを保持したまま忘れずにいるわけですが、それはいわば僕にとって建築をめぐるタブラ・ラサに最初に書き込まれた建物となるわけです。ポストモダン建築という歴史的(特に建築史的)地層の上にようやく有りうる建築様式を僕は最初に受容してしまったわけですから、これはとんでもない倒錯になります。僕はまあまあ平凡なりに綺麗な建築物、面白い建築物は好きですが、この原初的経験が僕の建築鑑賞眼に何らかの歪曲を加えていはしないものだろうかと怪しんでなりません。

で、話は飛んで、僕はいま特にこれといった情熱もなくほぼ専ら露命を繋ぐことを目的として小学生相手に塾講師をやっているわけですけれども、いやあ中学受験なんていいもんじゃないですよね。高校受験はなんだかみんな和気藹々と一致団結してガンバっている感じがすでに、学校の連中との付き合いもそこそこにやらずもがなの受験勉強をささやかな優等生意識を多少の心の拠り所にしながら隔離されて凌ぐ中学受験生らとは異なる類いの感情的紐帯や集団性、社会性みたいなものを中学生たちの心の裡に結んでいる気がしてならないわけですが、あァこういう人らが「社会」ってやつを築いていくんだなァと思えば、まあなんというか、我々にとってそれは住みにくい世間となりますわねと、変に得心してしまうのである。悪いのは中学受験でもなく高校受験でもなく、これらを人に対立的に見せてしまう経済的、地理的差異なのだろうか、受験というのはつくづく色々なものを貧しくする厭なものだ。受験産業に搾り取られちゃいけませんね。