「月曜日に、会社へ行かなければならないなんて、まったく馬鹿らしい、まったくいまいましいことに、ぼくには思えるんですよ」
今になって思えば恥ずかしい勘違いだが、僕は塾講師というものはーー所詮受験勉強に対応する能力を育成する限りにおいてとはいえーーいやしくも頭脳労働に類する職業だと考えていた。しかし関西のやかましい小学生相手にはこちらも声を張り上げないわけにはいかず、うるさくお喋りに興じているやつには(本当はその存在を完全に黙殺して淡々と講義を進めたいのだが、「授業」が「民間企業」から「消費者」に提供する「サービス」であるという性質上、「顧客」の満足のために)よく届く声で叱責する必要が生ずるうえ、長期休暇における講習だとか保護者との面談だとか週末授業だとかで平日の生活リズムを改めて朝からの活動が要請されるなど、己の肉体的エネルギーを消耗させられる日々を過ごすうちに、僕は塾講師という職業がほんのなけなしの頭脳と強靭な肉体とが要求される類いの仕事であることを諒解した。知性ということに関していえば、この仕事においてこの気品に満ちた麗しのご令嬢は全然お呼びではないようだ。
今年はそんなわけで、一年を同じ職場で過ごした初めての年になった。30になった。あれよあれよといううちに冬になり、関西では中学受験は1月のうちに済ませることから、今が一番忙しい時期だ。まあ、なんだかんだ言って、目をかけた生徒もいるし、きちんと能力のありそうな子やら頑張っている感じの子に受かって欲しいと思う。親にしろ塾にしろ、こんなに熱を上げてやることか? と思う冷めた気持ちはあるが、子ども本人の咎ではない。また、果たして受験することが望ましいのか、さて進学先で本当に満足のいく生活が送れるのかどうか、僕はあまり夢を見ることには懐疑的だし、関西の学校で魅力的かなあと思うような学校はどうもあまりないのだが、そうかといって入学試験準備を積んできたからには通るに越したことはないのだ。
2024年には他に僕にとって目ぼしいイヴェントとして、物心ついて以来初めての海外旅行があった。兄夫婦が暮らすスウェーデンのストックホルムに一週間ほど滞在した。新鮮な経験だったし、ホテルの朝食や飛行機内のブルーベリージュースはとても美味しかった。街中のスーパーで見つけたブルーベリー・フレーバーの紅茶や、フィンランドの空港で買ったKarl Fazerのチョコレートも美味しかった。勿論、夏至の最も過ごしやすい時季に訪ねたことを勘案せねばならないが、交通の便は良いし、食べ物もいろいろある(もっとも、兄に言わせればパリのほうが食事の面では遥かに良いようだが)し、案外住み心地が良さそうに思った。兄は僕が日本でウジウジやっていることが気に入らないらしく、国外で暮らす気になったか? などと余計なお節介をかけてくるのだが、まあ正直、人生の一時期をヨーロッパの何処かで暮らすのも悪くはないかもな、という気持ちにはなった。ただ、僕は外国語が全然できないので、その点がいまだ大きな障害である。心のどこかでは、外国語の一つや二つくらいは操れるようになりたいなあという気持ちは、なくはないのだが……
そんな2024年も終わる。今年は殊に夏にかけて短篇小説を集中的に読んだ。山川方夫、イアン・マキューアン、キャサリン・マンスフィールド、アントン・チェーホフ、井上靖……。山川方夫はいささか書割的で入り込まなかった。マンスフィールドも江藤淳が蓮實重彦との対談で褒めていた「園遊会」は確かに面白かったが、他はそんなに感激したというほどではない。一方、これらの中ではやはりチェーホフと井上靖が断然好みだった。チェーホフは10年ほど前に病院ものの短篇を読んだ時にはあまりピンとこなかったのだが、今回、新潮文庫の『かわいい女・犬を連れた奥さん』に収録のものを読んでいたく感銘を受けた。井上靖の滋味深い粒揃いの佳品と共通していえる特徴として、上質な短篇小説は妙な作為を感じさせないということがある。まったくここぞというところで切り上げ、旨みを凝縮させる。最近読んだ中上健次の「赫髪」、富岡多恵子の「遠い空」も今年の短篇小説ベストに入る。短篇小説のアンソロジーって探せば色々あるようだ。2025年も旨みのギュギュッと詰まった珠玉の短篇小説との出遭いを楽しみにしたい。その傍らで、ビッグネームの長篇作品も折々に読み通してゆこうと思う。
そんな年の瀬である。


