あまりのバイタリティに唖然として

仕事にたいする私たちの見方は、最終的に現世での生を超えて伸びひろがってゆくことになる。どうやら私たちには、世界に爪あとを残して自分にはほかの人たちとちがうところがあることを示したいという欲求があるようだ。

──ラース・スヴェンセン

 

やはり人間っていうのは歳月の経過やその身の置かれた境遇や経験で変化するもので、変化しないのは死者だけなんですね。生きていれば、例えば年齢が変化するんですわ。というのはまあ冗談としても、29歳ってえと、大学に入ってからもう10年は優に経過しているわけで。今朝、通勤途上の踏切を渡ろうとする時にふとこの事実に思い当たりましてね、慄然としました。目の前の踏切を咄嗟に20代から30代への踏切かと錯覚しました。10年なんてあっという間でしたね。で、その29歳になったワタクシは小学生連中を相手に商売しておりますので、小学6年生……まあ12歳として、そこから同じく10年後はいつだったかと考えれば、22歳であって、ああつまりこれは僕が人生の進路をどこに取ろうか悶々と悩んだ挙句、文学部でも行って美術史でもやるかあと転学して勉強を再開することになる直前くらいのことになるわけですね。こんなことを縷々述べたところでこのごく個人的な感慨が人と共有されるわけはないのでこの辺でやめますけども、何を言いたいかといえば、人生は短く人はさっさと死ぬなあということの他には、人のものの考え方も流動的なんだなあ、ということです。

自分は上に記したように結局美術史学徒として大学と大学院を卒えたわけですけれども、作品分析の基本方針はテクスト=作品至上主義的なところがありました。つまり、作家の記述だとか個人的な伝記だとかを脇に措いて、目の前にある作品を細部まで丹念に観察して抽出しうる洞察だけが洞察の名に値すると、基本的にはそう考える発想なんですかね。とはいえ、絵というのは(特に僕の専攻した抽象絵画は)なかなか言語情報として置換しにくく──だから〈絵画〉という形式をとった造形物になっているわけですけれども──、作品外の情報もかなり手掛かりとしないことには、少なくともアカデミックな論文というのはなかなか仕上げられないので──いや仕上げられるのかもしれませんが自分にはムリだったので──、そりゃあ先行研究は当然としても、画家の伝記的事実(この辺の年で奥さんと結婚している、だとか)なり文化的潮流なりは適宜参照しました。とはいえ、心はテクスト至上主義であり、作品外情報を参照するというのは内心としては妥協策という意識。これはもう完全に蓮實重彦ロラン・バルト(かの有名な「作者の死」!)の影響で、彼らの著作を齧って手もなくアテられてしまったわけですな。愚かだねえ。

そうはいえど、やっぱり数年かけて一人の画家つまり人物に向き合うとなると、やっぱりその人物の個人的な部分、パーソナリティなり人生なりに思いを馳せないわけにはゆかんですよ。この辺のことは改めてまとめて振り返りたいなと思っているんですけれども、僕の専攻した画家などは、具象絵画から抽象絵画へと己の絵画様式を大転換させ、美術史上に残る記念碑的な作品を残すようになるのは40歳頃からなんです。作家全集(カタログ・レゾネ)を眺めてみれば、明らかに一番脂が乗っているのは40歳〜50歳代末ぐらいまでの作品。彼は80代後半まで生きたのでそれまで作品を制作し続けているわけですが、僕が論文で取り上げた、あんなエネルギーの作品を50歳で描いているっていうことに気がついたとき、なんというか、あまりのバイタリティに唖然としてやはり絵を見詰め直しました。それだけの精力、構想力、粘り強さが50歳にして残っているっていうのは、やはり非凡なことだなあと嘆息しました。

時は流れ、自分が30歳目前という、まあ、ある程度節目となる年齢に差し掛かった身になってからそんなことをふと思い返しているうちに、作品分析、作品分析とお題目のように唱えていた僕は今頃になって、研究の過程で作品や名前に触れた画家たちの具体的な人生の様相やパーソナリティに遅まきの関心を抱くようになってきたのでした。

卒論の主題にした絵。1915年-1923年頃。画家の年齢にして42歳-50歳頃の作品。