淑やかで上品なお嬢様と日の沈む静かなカフェーで

人間の偉大さは、自分がみじめであることを自覚しているところにある。

────ブレーズ・パスカル

 

   ドロステのチョコレートをご存知だろうか。六角柱のパッケージに入っていて原産国名がオランダと表記されているチョコレートである。綴りはDroste.  生家は洋物のチョコレートを好む家で、この六角柱の愛らしいデザインのお菓子は物心ついた時から僕の味覚を喜ばせてくれているのだが、それというのもこのチョコレートにはへんな癖がなく、まろやかで上品な、王道的なミルクチョコレートの味わいを慎ましく守り続けてくれているがためである。ミルクチョコレートに操という概念をアナロジー的に投影するとしたら、間違いなくドロステのミルクチョコレートの舌触りには──いちおう注釈すればドロステの商品にはミルクチョコレートの他にもいくつかの種類があるが──貞節な淑女、深窓のご令嬢の含羞をしのばせた微笑みを見出すことができるだろう。

   深窓のご令嬢。実にノミナリスティックなこの概念に何らかのイマジナリーな幻影を眼前に惹起されぬ男がこの世にいるだろうか。己の女性的身体のイメージを男たちのハンディサイズの液晶画面にこれ見よがしに分配することで汗臭い欲情と精液の豪快な射出を奨励する娘たちによってエロティシズムの価値が際限なく磨り減らされ続ける現今、「お嬢様」のイマージュはさしずめエロ同人誌の上に残ることで辛うじて人々の忘却を免れているに過ぎないが、これに相伴って現実の「お嬢様」の貞操、そのエロティシズムの価値はその希少性から男たちの欲望の圧力を一身に受け、さながらダイヤモンドのように凝集し、鞏固で揺るぎないものとなっている。

   だが別にこう注意喚起したからとて以下、特にお嬢様陥落作戦の仔細が語られるわけではない。一般論として文学部美術史学専攻という場所にはその大学が大して金持ち学生の通う場所として認知されておらずとも純粋に経済的な意味での「お嬢様」がわんさといるからといってこの専攻を人に勧めるわけでもない。具体例としてその中で多少交流のあった女性についてその麗しい美貌を讃える文章が続くわけでもない。多少の知的、肉体的昂奮が我々の精神と肉体を貫いたからといって、なんの起伏もないmonotonousな日々は容赦なくその祝祭的な瞬間を過去の幻影の裏に塗りこめ、葬送してしまうのだ。はあ。淑やかで上品なお嬢様と日の沈む静かなカフェーで声をひそめ愛を囁きあうような恋がしたい…………